一日の終わりにリラックス
私は、兵庫県在住49歳の会社員です。部屋の掃除をしていた時にたまたま見つけた専門学校時代の古いアルバムをテーブルに置いて、その頃の思い出を肴に一人で一杯やっていました。
しばらくすると、家事を終えた妻が「何見てるん?」とビール缶を開けながら話しかけてきたので、お互いの当時のことをいろいろ話し合いました。
もちろんこれまで幾度となく同じ話はしているので、お互い次の話の展開がだいたいわかっているのですが。でも今回は「新しい内容」が一つ加わりました。
新生活に至る経緯
当時19歳だった私は、第一志望だった地元の大学受験に失敗し、大阪の英語の専門学校に進学することになりました。英語を使った仕事をしたかったのと、いつかは世界中を旅して地元の人達と触れ合いたいという夢もあったからです。
問題は専門学校までの距離です。満員電車で片道3時間かけて家から通学するのは現実的ではありません。大阪で一人暮らしすることに決まりましたが、両親は少し困惑していました。私は家から大学に通う予定だったのに、アパートを借りたりしないといけないので予定外の出費がかなりかかります。
直接両親に伝えたことはありませんが、代わりにここで言っとけばいいか。「お母さん、お父さん、大学落ちてゴメン」当時は、ふてくされた態度をとっていたけど、実は内心独り暮らしできることにワクワクしてたなぁ。
下宿先探し
父と2人で大阪に行き、電車をたくさん乗り継いで、目星を付けておいたアパートなどを下見にいきました。家賃が安すぎるところはダメですね。建物に清潔感が無かったり、壁がとても薄かったりするんです。
3件目は、感じの良い学生寮でした。寮母さんたちもいて3食付きだし、各部屋の作りもしっかりしているので勉強に集中できそうです。即、ここに決定しました。お風呂は近くの銭湯を利用するそうなので、そこまでの道のりを確認しましたが、閑静な住宅街といった感じで良い雰囲気でした。
その日は2人ともかなり歩き疲れて、お腹も空いていたので、近くにあった小さな中華料理屋さんで夕食をとりました。父は「学生にテレビは不要」。私は「息抜きするのにテレビは絶対必要!」って言い争っていたなぁ。結局テレビはOKになってよかったです。
私の一人暮らしと長女の一人暮らし
私の専門学生生活も始まり当初は一生懸命勉強していましたが、すぐに都会の誘惑に負けてしまいました。当時流行っていたビリヤードで遊ぶために、喫茶店でのバイトを始めてしまったので。
もう一つハマったことがありました。大阪と言えば「お好み焼き」。自分で焼くスタイルのお店によく行きました。豚玉、イカ玉、エビ玉の3つは大好きで、ヘビロテしていました。すごく美味しかったです。
なんとか専門学校は卒業できたのですが、怠惰な生活だったのでかなり悔いが残っています。
そして今回は、最初に述べた「新しい内容」が加わります。それは、今年長女が希望する大学に入学し、私と同じように学生寮に入り一人暮らしを始めたことです。
娘がまだあちらの生活には慣れていないそうなので少し心配ですが、妻は、すぐに友達ができるだろうから大丈夫、と言ってくれたので少し安心はしています。こうやって私の両親も同じように私のことを心配したのかな、としみじみ思いました。もう酔ってますね。娘にはできるだけ不自由な思いをさせたくないので、今月もかなり多めに仕送りしたいのですが、これに妻は渋い顔。こんな感じで、妻といろいろ話しながらの楽しいひと時でした。